自分は加害者?被害者?

 

 

1.パワハラ上司

自己肯定感が低かった35歳ごろの上司は、部下の行動を一々管理してくる過干渉タイプであった。部下を怒鳴ることも頻繁にあり、そういう上司を、仕事熱心で良い上司と思い込んでいた。実際は、怒鳴られるのにビクビクしながら、顔色を窺って仕事をしていたが、「怒鳴るほど、自分の事を考えてくれている」と思っていた。

 

自分がビクビクしながら仕事をしていたという話で終われば、「あの上司は、クソだった。自分も甘かったな!!」で終わるのだが、話はそう簡単ではない。

 

2.自分の部下Aさんへのいじめ

自分の部下(Aさん)(中途入社の25歳、妻子持ち)に対しての上司の評価が低く、「Aさんは、使えない。お前の指導が甘いからだ!!」と毎日のように怒鳴られ、上司に叱責されることを恐れ、自分はAさんに厳しく当たったのだ。

 

「そんなことも出来ないようでは、この会社には居られない!!」

 

など、自分も、毎日のようにAさんに怒鳴ってしまった。

結局、Aさんは退社した。妻子持ちだっので、大変だと思うし、申し訳ない

これはいじめの構図そのもの

「自分が嫌われるのが怖いから、もっと立場の弱い人間をイジメる」

自分はAさんのレベルは、確かに高くはなかったが、雰囲気を悪くしてまで、怒鳴る必要はなかったと思うし、本心では、怒鳴りたくなかったが、上司の”圧”に負けて怒鳴ってしまった。守ってあげられなくて、申し訳ない。

 

3.最近のハラスメント告発

自分が中学生の頃、学帽をかぶらずに登校して、頭を殴られたり、部活で気の抜けたプレーをしてビンタを食らったりしていた。その当時は、それが普通の指導法だったが、「自分は、今でも、なぜあの時、殴られなくてはならなかったのか?」と思う。従って、自分は体罰反対派なのだと思う

 

35歳の自分は自己肯定感が低かったので、毒親と同じようなパワハラ上司を尊敬してしまい、部下に厳しく当たってしまった。上司に怒鳴られるのが怖くて、部下に厳しく当たってしまった。今も、Aさんが時々、夢に出て来る。本当に、申し訳ない。

 

パワハラ上司も体罰教師も、断固反対である。今の自分は人間の尊厳を、こう思う。日本国憲法第13条にも規定される人間の尊厳を自分は、このように理解している

「容姿・知能・運動能力etcに関わらず、人間は、皆、一生懸命生きている。そういう一生懸命生きている人間の健気さ・尊さを人間の尊厳と言い、その人間の尊厳は、誰も犯せない

 

そんなことを考えるようになったきっかけは、「私は私のままで生きることにした」という韓国で出版された本です。韓国も日本と同様、自己肯定感が低く、自殺率も高い国のようです。そん韓国でベストセラーになり、日本でもよく売れたので、ご存じの方も多いと思いますが、自分に対して優しい気持ちになれる本です

 


 

 4.加害者と被害者の人権

自分は上司の被害者、Aにとっては加害者だと思う。よく犯罪者に対して更生することが償いという方がいるが、被害者からすると更生して欲しいと思うのだろうか?Aさんは自分が幸せに暮らすことより、苦しんで生活して欲しいと思っているように思える。

 

結局は、加害者の人権というテーマになるのだろうが、自分には正解はわからない。

 

自分は会社の噂で、「昔、あいつ部下を辞めさせたらいしよ」と言われ、処遇に影響が出るかもしれないが、生きていく上で大きな影響はないであろう。

Aさんには申しわけないが、自分はこれからの人生を幸せに生きたいし、Aさんにも幸せに生きて欲しい。

心からそう思う以上のことは、自分には分からない。

毒親の影響で、自分も毒親になったり、被害者が、加害者にもなったりするので、現実はなんとも難しい

 

 

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